私が  こっちゃんを育てていて  母親として  いつも心配に思っていることがあります。   「今、不安じゃないかな?」  「今、素直に楽しいと思えているかな?」  「今、どういう気持ちでいるんだろう?」   私はいつも  不安を取り除いてあげたいと思うし  なんの心配ごともなく楽しんでほしいと思うし  小さな変化にも寄り添っていたい。   それは、同時に  「こっちゃんの中に私が母親として存在しているかどうか」  の不安があるからです。    子どもの中に  「 保護者が内在化 」していると  根源的な「 安心 」が得られる。  その「 安心 」が「 人が生きる力 」になる。  「 生きる力 」を持っていれば  なんとなく  自分の未来に期待して  「幸せになりたい」「幸せになろう」と(無意識に)思う人間 になる。    小さいころのこっちゃんに、  私は  「母親」と認識してもらえていなかった。  そう実感する瞬間が何度も何度もあったのです。  子を産んだものにとって  これほど虚しいことはありません。   私にとって療育とは  私を母親として認識し、信頼してもらうことに等しかったのです。   それがことごとくうまくいかなかった場合  どんな人間になってしまうんだろう…  っていう不安がずっとありました。   なぜなら、私も自分の自己肯定感の低さを認識して、もがいているからです。   この【黒子のバスケ脅迫事件】の渡邊被告は  私が想像する悲しい結果をすべて持って生きてきた感じがします。   涙なしには読めない部分もありました。   ちょっと長いので  後半のふたつ、  「地獄だった小学校の6年間」 か  「犯罪者からの心に迫るメッセージ」 のどちらかだけでも読んでみてください。   私は  彼の育ちに同情するとともに  彼が受けてきたような子育てをしてはいけない、と強く思います。  あまりにも悲劇です。   【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない