スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

10月, 2014の投稿を表示しています

なんとなく「幸せになりたい」と思える人間に。

私が こっちゃんを育てていて 母親として いつも心配に思っていることがあります。 「今、不安じゃないかな?」 「今、素直に楽しいと思えているかな?」 「今、どういう気持ちでいるんだろう?」 私はいつも 不安を取り除いてあげたいと思うし なんの心配ごともなく楽しんでほしいと思うし 小さな変化にも寄り添っていたい。 それは、同時に 「こっちゃんの中に私が母親として存在しているかどうか」 の不安があるからです。 子どもの中に 「 保護者が内在化 」していると 根源的な「 安心 」が得られる。 その「 安心 」が「 人が生きる力 」になる。 「 生きる力 」を持っていれば なんとなく 自分の未来に期待して 「幸せになりたい」「幸せになろう」と(無意識に)思う人間 になる。 小さいころのこっちゃんに、 私は 「母親」と認識してもらえていなかった。 そう実感する瞬間が何度も何度もあったのです。 子を産んだものにとって これほど虚しいことはありません。 私にとって療育とは 私を母親として認識し、信頼してもらうことに等しかったのです。 それがことごとくうまくいかなかった場合 どんな人間になってしまうんだろう… っていう不安がずっとありました。 なぜなら、私も自分の自己肯定感の低さを認識して、もがいているからです。 この【黒子のバスケ脅迫事件】の渡邊被告は 私が想像する悲しい結果をすべて持って生きてきた感じがします。 涙なしには読めない部分もありました。 ちょっと長いので 後半のふたつ、 「地獄だった小学校の6年間」 か 「犯罪者からの心に迫るメッセージ」 のどちらかだけでも読んでみてください。 私は 彼の育ちに同情するとともに 彼が受けてきたような子育てをしてはいけない、と強く思います。 あまりにも悲劇です。 【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない